『ハウルの動く城』は原作も面白い!映画と何が違うの?

『ハウルの動く城』は原作も面白い!映画と何が違うの? ジブリ
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原作は『魔法使いハウルと火の悪魔』

日本では、スタジオジブリが2004年に映公開した、映画『ハウルの動く城』の影響で、「ハウル」というと、映画を思い浮かべる方が多いですが、ハウルには原作もあります。

 

ことこと
ことこと

私も、ハウルを知ったのは、ジブリ映画がきっかけでした!原作を読んだのは、そのあとですね。

 

 

スタジオジブリの映画には、原作があるものも多く、『魔女の宅急便』や『思い出のマーニー』、『借りぐらしのアリエッティ』などの内容は、それぞれ原作をアレンジしたものになっています。

『ハウルの動く城』の原作は、イギリスの作家、ダイアナ・ウィン・ジョーンズが、1986年に出版したファンタジー小説、『魔法使いハウルと火の悪魔』です。

 

 

『思い出のマーニー』や『魔女の宅急便』は、原作と映画の題名が同じですが、ハウルは「火の悪魔」の代わりに、「動く城」が題名に入れられ、強調されていますね。

原作のハウルの城は、ソフィーに奇妙で醜いとは思われてしまうものの、イラストを見る限り、私達の知っている城に近い姿をしており、映画の「動く城」ほど、奇抜なデザインではありません。

 

 

ことこと
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映画の中で、城の姿はとてもインパクトがありますし、物語の中で重要な役割を持つので、題名に入れられているのも頷けますね。

 

この記事では、『ハウルの動く城』の原作との違いや、映画と原作双方の魅力について考察するので、ハウルが好きな方は、原作も是非読んでみて下さいね。

 

記事内容には、考察をする以上、あらすじだけでなく、ネタバレなども一部含まれます。知りたくないという方は、閲覧をお控えください。

 

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原作と映画で、異なるテーマ

ハウルの原作を読んでみると、映画との違いが思ったよりも多く、映画を先に見た方は、びっくりするかもしれません。

原作も映画も、導入部分の大筋は同じで、父が営む帽子屋を継いだソフィーは、ある日街中でハウルと偶然出会い、その後荒れ地の魔女に目を付けられ、老婆になる呪いをかけられてしまいます。

 

 

家族に心配をかけると思ったソフィーは、家を出て荒れ地へと足を踏み入れ、ハウルの城へとたどり着き、自らの呪いを解くためにも、火の悪魔「カルシファー」と取引を交わし、城で掃除婦を始めます。

この先の展開は、原作と映画で大きく分かれていきますが、映画も最後には、原作と似たような結末を迎えます。

映画でオリジナルのストーリーが展開されているのは、端的に言って、原作と映画ではテーマが異なるからでしょう。

ここからは、原作のテーマを「長女の幸せ」、映画のテーマを「反戦と家族」として、内容やテーマの違いを考察していくので、参考にしてみて下さいね。

 

原作は、長女が幸せになる物語

ハウルの原作では、作中何度もソフィーが「私は長女だから、何をやってもうまくいかない」という内容のセリフを言います。

物語の舞台は、魔法が息づくインガリーの国で、昔話のように、長女や先に生まれた子どもは失敗し、末の子が成功すると信じられていました。

ソフィーも「長女に生まれた」というだけで、自分は成功できないと思い込み、困ったことになると、いつも長女であることを原因にしています。

また、映画では、ソフィーの妹は次女「レティ―」しか出てきませんが、原作では三女「マーサ」も登場し、ソフィーは3人姉妹の長女という設定なので、昔話の世界なら、運試しで失敗すると思うのも、無理はありません。

2人の妹は、ソフィーよりも美しい、魔法の才能があるなどの秀でた部分があり、父が急死した後、ソフィーだけが帽子屋を継ぐために、家に残ることになります。

 

 

ソフィーは継母にこき使われ、給料をもらうこともなく、ひたすら店で帽子を作り続けたのち、遂には荒れ地の魔女に呪いまでかけられてしまい、寿命も縮んでしまいます。

普通の人なら絶望してもおかしくない状況ですが、ソフィーは老婆になったことで、かえってしがらみから解放され、カルシファーやマイケルとの初対面の会話や、カルシファーを使って料理を始めるシーンは、大胆そのものです。

実はソフィーは呪いをかけられる前から、街中でハウルに「きれいなご婦人」と声をかけられる程美しく、妹たちからも「賢くて良い性格」だと慕われていました。

 

ことこと
ことこと

もっと自分に自信を持っていても良いのに、長女は上手くいくはずがないという「呪い」のような思考に囚われ、自分を客観視できなかったんですね。

 

荒れ地の魔女の呪いが、長女の呪いを解くきっかけとなり、最後には老婆の呪いも、長女の呪いも解けて、ハウルと結ばれる結末は、まさしく長女が幸せになる物語だと言えるでしょう。

 

映画は、反戦と家族の物語

原作ではソフィーが長女であることに重きが置かれていましたが、映画では、ソフィーが長女であることは、さほど重要視されていません。

その代わり、映画では、戦争や家族に焦点が当てられています。

 

映画で描かれる反戦

まずは戦争についてですが、原作においても、ハウルと荒れ地の魔女との戦いはあるものの、映画のように、国と国との戦争ではなく、軍艦や爆撃などの生々しい戦争描写もありません

 

ことこと
ことこと

映画でソフィーの大事な街が爆撃されるのは、何度見ても胸が痛みますね。

 

映画では、複数の偽名を使い分けるハウルは、宮廷につかえる、魔法使いの師匠、サリマンから戦争への参加を求められますが、極力関わらないように逃げ回ります。

しかし、その一方で、単独で戦地に赴き、人の姿をなさない化け物と戦い続けている姿からは、ハウルが敵国や敵の人間ではなく、戦争そのものに反対であることが、伺い知れます。

ハウルの城の玄関の、ドアノブの色を変えると行き先が変わる扉は、原作と映画で黒色の行き先が変えられており、原作では私たちの生活する世界に通じているのに対し、映画では戦地になっていることからも、映画が戦争を強く意識しているのが分かりますね。

 

ハウルは実は、私達と同じ世界の出身です。ハウルが何者なのか、家族はいるのかなど、ハウルの背景の詳細が気になる方は、原作を読むと、謎が解けますよ。

 

反戦と平和を求めるメッセージは、スタジオジブリの『風の谷のナウシカ』や『火垂るの墓』などの、他の多くの映画にも込められており、原作にはない、ジブリオリジナルの、強いメッセージだと受け取れます。

 

ハウルの城に住まう家族

映画のハウルで描かれる、もうひとつの大きなテーマとして、ハウルの城に住まう「家族」が挙げられます。

原作では、最後まで敵である「荒れ地の魔女」は、映画ではひょんなことから、城に住むようになり、そのときに、どさくさに紛れて、サリマンの使い犬の「ヒン」も城で暮らすようになります。

ソフィーよりも先に城で暮らしていた、ハウルの弟子の「マルクル」も、、原作では青年と呼べる年頃ですが、映画では少年のような容姿をしており、ソフィーにハウル、マルクルと荒れ地の魔女、ヒンの皆で生活している姿は、血は繋がっていないものの、家族を思わせます。

 

マルクルは、原作では「マイケル」という名前で、マルクルのようにソフィーに甘えることは無く、恋人もいます。

 

ハウルの城に住まう住人が増えていくというのは、映画ならではの展開で、ソフィーの継母が訪ねてきた際に、マルクルがソフィーに、自分たちは家族なのか尋ねると、ソフィーは「家族だ」と迷わず答えます。

 

 

原作は『魔法使いハウルと火の悪魔』以降も、2冊シリーズの続編が出ており、そこでは、ハウルとソフィーに子どもが生まれ、血のつながった家族になっています。

 

ことこと
ことこと

城には、マルクル(マイケル)も荒れ地の魔女もヒンもいないので、夫婦と子どもという、私達が家族と聞いて思い浮かべる家族に形態が近いですね。

 

映画において、荒れ地の魔女やヒンを城に住まわせた、明確な意図は分かりませんが、映画の最後に飛んでいる城は「自由」を連想させますし、城でくつろぐソフィー達を見ていると、形にとらわれない家族を描きたかったことは確かでしょう。

 

まとめ

長くなりましたが、この記事では、『ハウルの動く城』の原作との違いや、映画と原作双方の魅力について考察しました!

ここで紹介した以外にも、ソフィーの魔法の謎や、映画には登場しない7リーグ靴など、原作にはまだまだ、ハウルの世界を楽しむ要素が沢山あります。

原作を読んだ後は、何とも言えない幸福感に包まれますし、続編でまたハウルたちに会えるのも嬉しいですね。

 

 

続編2冊の内、『アブダラと空飛ぶ絨毯』も面白いのですが、私のおすすめは、3巻の『チャ―メインと魔法の家』です。

ハウルが好きな方は、子どもはもちろん、大人が読んでも本当に面白いので、是非読んでみて下さいね。

 

 

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