思い出のマーニーとは
『思い出のマーニー』とは、イギリスの作家ジョーン・G・ロビンソンによる児童文学作品のことです。
日本では2014年にスタジオジブリが映画を公開し、話題になりました。
マーニーと聞くと、金髪の美少女を思い浮かべる方が多いと思うのですが、『思い出のマーニー』の主人公は、黒髪の「アンナ」という少女です。
物語を動かすのは、主にアンナとマーニーの2人なのですが、「あなたのことが大好き」という映画のキャッチコピーや、映画内でのマーニーの描かれ方から、「意味不明」や「怖い」などの感想を抱く方も多いようです。
公開当時、私は中学生でしたが、やはり観ても何が面白いのか、そもそも何が起こっているのか分からないシーンが多々ありました・・・。
この記事では、『思い出のマーニー』の原作と映画との違いを解説していきたいと思います!
原作と映画の違い
原作も映画も、心に傷を負った少女アンナが、療養のために訪れた村で、湿っ地に建つ不思議な屋敷とマーニーとの交流を通し、癒されていくという、大まかなストーリーは同じです。
原作は非常に心理描写が繊細で、ゆったりとした時間の流れの中で、アンナに少しずつ変化が生じていく姿が丁寧に書かれています。
ここからは、原作と映画で大きく異なるポイントを、3つに分けて見ていきたいと思います!
物語の舞台
原作の舞台はイギリスで、アンナはロンドンに住む里親「ミセス・プレストン」と別れ、ノーフォークへと療養に向かいます。
ジブリ映画では、日本の視聴者に馴染みやすくするためか、杏奈が住むのは日本に変えられています。
そして、原作ではアンナは自分の瞳の色にそこまで執着を見せませんが、映画の杏奈は非常に強く目の色を意識しています。
杏奈の目は一見すると黒に見えるのですが、よく見ると日本人離れした青色をしているんです!
杏奈「私は私のとおり…みにくくて…ばかで… 不機嫌で…不愉快で… だから私は私がキライ…」#金曜ロードショー #思い出のマーニー pic.twitter.com/ZlXkjmOxvk
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) January 13, 2023
青い目はきれいだし、アニメの演出かな?と思っていましたが、そんな単純な理由ではありませんでした。
のちに明かされるマーニーの正体と絡めて、杏奈の目の色は重大な伏線となってくる、映画オリジナルの注目ポイントです。
サンドラ/信子の描写
原作でも映画でも、預け先の夫婦の後押しもあり、アンナは療養先に住む子どもたちと交流することになります。
とはいえ、自らを「輪の外側の人間」だと感じるアンナは、同年代の子どもとの遊びに消極的です。
映画の序盤で、杏奈は地元の子どもたちと七夕祭りに参加し、子どもたちの一人「信子(のぶこ)」とトラブルを起こしてしまいます。
信子は杏奈の短冊を読み、さらには杏奈の目の色についても言及してしまい、動揺した杏奈は信子に「ふとっちょぶた!」と暴言を吐いてしまうんですよ!
#杏奈が参加することになった七夕祭り🎋は、神社⛩の祭壇にロウソク🕯を奉納し、願い事を書いた短冊を笹に結ぶと願いがかなうと言われている設定になっています。提灯🏮を持った子どもたちが民家を訪ねてお菓子をもらう風習もあります🤗#おうちで映画#思い出のマーニー#有村架純#高月彩良#金ロー pic.twitter.com/ajPiiD73Z9
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) April 3, 2020
酷いことを言われた信子ですが、その場で杏奈を咎めることはせずに、明るく許してくれます。しかし、杏奈の気持ちは収まらず、2人が和解することはありませんでした。
結局その後信子の母親が家へやってきて、保護者同士の話し合いとなります。
小説では、「サンドラ」という少女が信子のポジションにあたりますが、サンドラは信子よりも性格が悪いです。アンナとのトランプ遊びでずるをしたり、母親にアンナを「こちこちの、つまんない子」と悪口を言うような子どもでした。
その後、原作でもアンナがサンドラに対して「ふとっちょぶた」と罵る場面があり、映画と同様に「あんたはあんたの通りに見えている」と言われたアンナは大きなショックを受けます。
なかなか怖い言葉ですよね。自分にコンプレックスがあると、普通に悪口を言われるよりグサリときそうです・・・。
サンドラにとって、誰もいないのに一人で入江で遊ぶアンナはおかしな存在であり、遠くからからかってくることもありました。
映画でも原作でも、サンドラ/信子と最後まで打ち解けて仲良くなることはありませんが、あいさつを交わすくらいには2人の仲は改善します。
マーニーと別れた後も話が続く
『思い出のマーニー』の映画だけを見ると、マーニーとの出会いと別れがお話の中核を成しており、正に「マーニーのお話」という感じがします。
一方で、原作ではマーニーは非常に重要な存在でありながら、物語の前半で早々とアンナの元を去ってしまいます。
マーニーがいないのに、お話が続くってこと?
そもそも『思い出のマーニー』は、文庫本で上下巻に分かれるほどお話が長く、物語のすべてを映画にすることは、尺から考えても不可能です。
そのため、映画ではマーニーが登場する前半だけに焦点が絞られ、原作の後半部分は削られてしまったと考えられます。
小説の後半からは、しめっち屋敷に新しく引っ越してきた家族との交流が始まり、マーニーと別れた後にアンナが現実の人々と絆を築いていく様子が、つぶさに書かれています。
しめっち屋敷に住む家族が違う
アンナが療養先に着いた当初、しめっち屋敷には住人がおらず、空き家として売りに出されていました。
原作でも映画でも、丁度マーニーがいなくなったタイミングで、新しい住人が屋敷に引っ越してきます。
マーニーがいるときは、いつも屋敷の裏(ボートがある方)から近づいていたアンナは、新しい住人が来ることになり、屋敷の表(正面玄関)を意識するようになるんですね。
映画では、赤い眼鏡が印象的な彩香(さやか)という少女が登場し、活発な言動で杏奈を引っ張っていきます。
映画を観ていると、杏奈と彩香の1対1でやり取りしているため、明るい彩香がいても、それ程しめっち屋敷がにぎやかになった感じはしません。
しかし、原作では、しめっち屋敷に越してくるリンジー夫妻には5人の子どもがいて、屋敷は一気に活気づきます!
5人の子どもたちにわいわい囲まれるアンナの姿を想像すると、ちょっとびっくりしてしまいますよね。
アンナは5人兄弟の中でも、マーニーの部屋に住むことになるプリシラと特に仲良くなり、マーニーの日記を発見したプリシラと、2人でマーニーの謎を追うことになります。
アンナは子どもたちだけでなく、リンジー夫妻にも心を開き、リンジー一家との出会いは、アンナをみるみる元気にしていきます。
入江に住む現実の人々と良好な関係を築くアンナの姿を見られるからこそ、ロンドンに戻ってもきっと大丈夫という安心感が得られるんですよね。
最終的にアンナの心は、ロンドンに住むおばちゃん(里親)にもリンジー一家に会ってほしい、おばちゃんに入り江の思い出を話すときに知っておいてほしいと思うほどにまで、回復していきます。
アンナとマーニーの2人だけの秘密の関係が終わった後に、信頼できるおばちゃんと共有したい思い出ができていく流れが、アンナの心が内から外へと向かう様子を表していて、見事ですよね。
まとめ
以上、この記事では、ジブリ映画『思い出のマーニー』の原作との違いを考察していきました。
映像化するのが難しいお話のため、「つまらない、怖い」などの評価をされがちで、私も最初は何が良いのかさっぱり分かりませんでした。
ただ、原作を読むと映画のよく分からなかった部分が、パズルのピースをはめるようにつながっていくので、モヤモヤが晴れる爽快感があります!
原作を読んでから映画を見ると、クライマックスで泣きそうになるほど感動するようになったので、マーニーがつまらないという方にこそ、一度は読んでみることをお勧めします。