『思い出のマーニー』は怖いって本当?マーニーの正体を徹底考察!

『思い出のマーニー』は怖いって本当?マーニーの正体を徹底考察! ジブリ
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『思い出のマーニー』は怖い?

マーニーとは、ジブリ映画『思い出のマーニー』に登場する金髪の少女のことです。

神出鬼没で不思議な発言も多く、どこか現実味の薄いマーニー。

映画の視聴者から怖い、幽霊みたいなどの負のイメージを持たれてしまいがちなようです。

『思い出のマーニー』には原作があり、マーニーとアンナの関係については明かされるものの、アンナが入り江で出会ったマーニーが何であったのかには触れられていません。

 

 

原作の時点で内容が難しいので、原作を読まずに映画を観て、マーニーの存在や発言を深く理解するのは至難の業だと思います!

この記事では、原作の内容も踏まえて、マーニーの正体について考察していきますので、映画を観て不完全燃焼だった方は、是非参考にしてみてくださいね。

 

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マーニーの正体

物語の終盤で明かされますが、マーニーは実はアンナの祖母なんです。

大人になったマーニーは、幼馴染のエドワード(映画では「和彦(かずひこ)」)と結婚し、一人娘のエズミーを授かります。

しかし、マーニーは家族で暮らすよりも、戦火から逃がすためにエズミーを疎開させることを選び、そのことが2人の間に埋まらない溝を作ってしまいました。

 

ことこと
ことこと

両親から十分な愛情を受けられなかったマーニーは、エズミーに対しても、どう接したら良いのか分からなかったのかもしれませんね。

 

マーニーの本名は「マリアン」といい、エズミーは自らの娘(マーニーの孫)に、マリアンをもじった名前を付けます。

そう、プレストン夫妻(映画では「頼子」)に引き取られる前のアンナの名前は「マリアン」に「ナ」を付けた、「マリアンナ」だったのです。

アンナの母親であるエズミーは、アンナの実の父親とは離婚しており、再婚相手と出かけた先で交通事故にあい、この世を去ります。

 

 

マーニーはエズミーが離婚した直後から、アンナを引き取りますが、エズミーを失ったショックから立ち直れず、病に倒れてしまいます。

 

映画では、杏奈の実の両親が交通事故にあったような描写をされていますが、原作では亡くなっているのは再婚相手なので、もしかするとアンナの実の父親はまだ生きているのかもしれませんね。

 

アンナが孤児院に預けられることになったのは、実母とマーニーの死が続き、保護者がいなくなってしまったためでした。

里親のミセス・プレストンは、アンナを実の娘と思いたいという願いから、「マリアンナ」の語尾を取り、「アンナ」と名付けて育ててきたのです。

 

ことこと
ことこと

ただ、この事実だけだと、アンナが会っていたマーニーが一体何だったのかまでは分かりません。マーニーとは一体何だったのでしょう?

 

幽霊か妄想か

マーニーという人物は実在し、正体はアンナの祖母だと判明しました。

しかし、アンナと交流していたマーニーは、当然のことながら生きているとは考えられません。

そのため、アンナが会っていたマーニーは

  • アンナが心配で出てきた幽霊
  • アンナが作り出した妄想

のどちらかであると考えるのが自然です。

では、ひとつずつ紐解いていってみましょう。

 

幽霊の場合

マーニーが幽霊であった場合、急に消えたり現れたりすることや、ほかの人には認識されていないことには説明がつきます。

自分のことを秘密にするように要求する点も、2人の関係のはかなさだけでなく、妖怪のような不気味さを感じさせますよね。

 

 

マーニーが療養中の杏奈の前に幽霊として現れたのならば、その動機はやはり、「杏奈を心配して」だと考えられます。

しかし、そう考えると、会話の途中で消えたり、サイロに置き去りにする一連の不思議な行動は、杏奈をかき乱し、マイナスに働いているので、わざわざそんな行動を取る意味が分かりません。

 

ことこと
ことこと

マーニーは幽霊としての怖さを前面には出してきませんが、間接的に杏奈を危険な目に遭わせていますよね。

 

杏奈を心配して出てきた幽霊なら、杏奈の心を安心させるために、慰めたり、昔の思い出話を聞かせたりする方が自然ではないでしょうか。

さらに、マーニーの姿について突き詰めて考えていくと、何故杏奈が実際に見たことのない少女時代の姿で現れたのかも分かりません。

 

ことこと
ことこと

幼少期の杏奈が見慣れていた、おばあちゃんの姿の方が、亡くなったおばあちゃんが会いに来てくれた実感が湧きますよね。

 

杏奈に親近感を持ってもらうために、マーニーが少女の姿で現れたとも考えられますが、少し引っかかる部分はあります。

そして、マーニーが幽霊だとしたとき、一番つじつまが合わなくなるのは、サイロにて杏奈のことを幼馴染の「和彦(かずひこ)」と呼んだ場面です。

いくら錯乱していたからと言って、幽霊のマーニーが杏奈を和彦と呼ぶのは、どうしても違和感がありますよね。

このような視点で見ていくと、マーニーはどうやら怖い幽霊や悪霊の類ではないと言えます。

 

妄想の場合

では、マーニーは杏奈が生み出した妄想という仮説で、映画を振り返っていきましょう。

杏奈は心を病んでいる可能性が高いため、祖母から聞いていた昔話(実話)をもとに妄想を膨らませていたことは、十分にあり得ます。

マーニーは杏奈の心の奥底に眠っていた記憶であり、現実世界とは一線を画していると考えると、マーニーが消えるタイミングには、ある法則が見えてくるんです。

 

 

マーニーは現実世界とは隔絶された存在であり、杏奈の中にマーニーと現実世界が両立されることはありません

マーニーと会っているとき、杏奈の心は奥底へと潜り、現実世界へと浮上すると、マーニーはもう杏奈の中にはいられなくなり、消えてしまうんですね。

では、マーニーが妄想なら、なぜ療養先に来るまで、杏奈の見えない友達として出てくることはなかったのでしょう?

 

ことこと
ことこと

あんなに鮮明に覚えているなら、今までマーニーのことを全く思い出さなかったというのも、不自然な気がしてしまいますね。

 

杏奈の記憶が呼び覚まされるきっかけとなったのは、「しめっち屋敷」だと断言できます。

 

 

映画でも終盤に登場しますが、杏奈は孤児院にいたとき、元々マーニーが持っていた「しめっち屋敷の絵はがき」を握りしめていたそうです。

療養する前の普段の生活では、思い出すこともなかったマーニーの昔話が、本物のしめっち屋敷を見ることで、一気に呼び覚まされたと考えられます。

 

ことこと
ことこと

来たことがないはずなのに、とても懐かしい感じがする。会ったことがないのに、話でたくさん聞いていたから他人とは思えない。そんな感覚に近いのかもしれません。

 

アンナの潜在意識がマーニーを受け入れていたことを考慮すると、入江の子どもたちも含む、同年代の子どもたちには心を閉ざすアンナが、マーニーだけには打ち解けてしまう展開にも納得がいきます。

そして、サイロのシーンでマーニーが杏奈を和彦と呼んだ件も、マーニーが思い出から生まれた妄想だとすると、筋が通ります。

似たようなシーンで、杏奈が花売り娘になる展開がありましたが、あのときの花売り娘は実際の時系列ではワンタメニー(映画では「十一」(といち))でした。

 

 

しかし、その時点ではマーニーが杏奈を他者の名前(十一)で呼ぶことはありません。なぜなら、杏奈の心が回復しきっていないからです。

杏奈の心が回復に向かうにつれて、杏奈は無意識に、これは現実ではなく思い出に浸っているのだということを認識し始め、「サイロにマーニーと行ったのは和彦だ」というおぼろげな記憶が蘇ったのだと考えられます。

 

ことこと
ことこと

和彦のことはよく分からないけれど、お話で確かに登場した人物として、名前が浮かんできたのでしょうね。

 

マーニーはタイトル通り、杏奈にとって「思い出」であり、幽霊ではなく思い出から生まれた妄想だと考察できます。

 

まとめ

この記事では、『思い出のマーニー』のマーニーの正体について徹底考察してみました!

 

ことこと
ことこと

私も一度目に映画を観たときは、マーニーのことを謎の美少女くらいにしか理解できず、杏奈の祖母だといわれても、いまいちピンときませんでした。

 

マーニーの解釈は視聴者にゆだねられている訳ですが、個人的にはマーニーは「アンナが自らの心を癒すために作り出した幻想」という、心理学者の河合隼雄先生のとらえ方が素敵だと思います。

『思い出のマーニー』の愛蔵版には、巻末に河合隼雄先生の考察(『思い出のマーニー』を読む)や、デボラ・シェパードさん(作者の長女)のあとがきなどが載っているので、物語だけを読むよりも、より深く作品を理解できますよ!

 

 

河合隼雄先生の考察は、『子どもの本を読む』に書かれていたものを改題、一部表記を変更したものなので、ほかの児童文学の心理描写が気になる方は、そちらもお勧めです。

 

 

「どうしてもモヤモヤが晴れない」という方にこそ、是非一度読んで感動を味わってもらいたいです。

 

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